2011年03月15日
*無事生きております
私たち三人含め
身内共々
安否の確認が取れて
無事でおります。
地震当時の状況は
私もボスも
もちろん仕事中でした。
私は接客業なので
お客さんの安全第一を考え
店内の揺れが治まるまで
商品の下に隠れるように
身を潜めておりました。
商品は棚から倒れ
店内のスポットライトが揺れ落ち
防煙ガラスが割れ
床にも亀裂が入り
エスカレーター上部、サイドのガラスが割れて…………
悪夢のようでした。
お店が倒壊するのではないかと
不安で一杯。
落ち着き
予震が来ないうちに
お客さんを外に誘導して
私たちも店外駐車場に非難しました。
荷物も何も持ち出せず
家族とも連絡が取れず
学校に行っているミルクの安否が
心配でなりませんでした。
「どうか無事でありますように」
予震の様子を見計らい
荷物をロッカーから取り出し
携帯で連絡するも
家族へは繋がりません。
地震から一時間過ぎた位に
ボスから連絡が入り
ミルクの無事、ミルクと今一緒にいる!!と
報告を受けました。
地震当時
ミルクは学童の先生の車の中に居ました。
ちょうどミルクを迎えにいき
他の子供達を送迎するために
開成小学校に居たみたいで
車に乗ってるより
学校に居た方が安全かと
開成小学校で待機していたようです。
先生と連絡が取れて
ボスが開成小学校まで迎えに行きました。
仕事を終えたのが
5時半過ぎ。
家族と会えたのが
7時位だったかと思います。
その間
家の状況を調べないとと思い
部屋に入りました。
幸いにして
被害は流しの上に置いてあった
コップが3個床に落ちて割れていた以外に
被害はありませんでした。
出窓にまだ出しっぱなしにしてあった
お雛様のガラスケースも
テレビも食器棚も
全く転倒も被害もありませんでした。
昨日工務店さんが被害状況を確認しにきたときに話してましたが
ここの建物は地下室があります。
基礎はかなり頑丈に作られているので
被害がなかったんだろうと………
帰宅したボスの車には
ミルク、義父母、義母の姉、姉と一緒に住んでる女性が乗ってました。
義父は病気の為に目が見えません。
それを心配した義母の姉が
徒歩で安否の確認をしにきました。
義母、その姉宅は地震で部屋の中がメチャクチャ
避難出来た義父母と姉で姉のアパートにいる
一緒に住んでる女性と合流し
近くの中学校に避難しました。
しかしその中学校は
耐震性がなく避難が出来ないとのことで
体育館の脇で待機していた所で
ボスと連絡が繋がり
開成小学校でミルクと合流したボスが
身内を迎えに行きました。
指定の避難場に逃げましたが
そちらは既にいっぱいで
中に入れない………
他もあたりましたが
他も入れない。
避難場に居るより
被害の無かった我が家に避難したほうが
安全だろうと
みんなで我が家に来られました。
大人六人、子供一人で
電気水道の繋がらない状態ではある我が家に
暫く過ごしておりました。
義母さんの実家が近いので
そちらに私が運転し
状態を確認して戻りました。
みんなで話し合い
ここは二階で
予震があったら
義父を連れて直ぐに外に逃げることが出来ないと判断し
みんなを連れて
義母の実家に避難しました。
夜中ボスがお家の様子を確認したところ
電気は復旧してるとのことで
こちらに大勢お世話になるわけにもいかないと
私たちだけは
お家に戻ってきました。
この段階で
私の父母とは
メールでは安否の確認ができていたけど
どうしても会って確認したいと
私だけ車を運転して
実家に向かいました。
運転中辺りを見ると
被害の凄さに
涙と震えが止まりませんでした。
実家は家具も転倒していた様でしたが
私が行った時には
片付けも終わってました。
父も母も
のりたまも無事でした。
****************
昨日の夜
やっと水道が通り
ボスとミルクと抱き合って喜びました。
生活する分には支障がなくなりましたが
今ある食料もいつまで持つか判りません。
あるものを少しずつ大切に使わないと。
予震もそうですが
原子力発電所の行く末も心配です。
「がんばっぺ福島!!がんばっぺ東北!!」
亡くなった方々の分も
私たちが一丸となり生き抜かなくてはならない。
みんな何があってもがんばっぺない!!
*画像容量がある限りこのブログ更新していきます^^
また宜しくです☆
Posted by ミル姐。 at 13:06│Comments(0)
│*ヒトリゴト
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